日本軍が海南島に侵入を開始したのは、1939年2月だったが、はやくもその翌3月に、海口の海軍情報部長は、
台湾台北の海軍武官室を通じて台湾拓殖会社に「慰安所」設置を依頼した。これは、日本外務省・日本海軍・日
本陸軍の三省連絡会議の決定にもとづくものであった。 |
海口海口中山路近くにある時計台海口の慰安所には、朝鮮人朴来順さん、金玉珠さんも入れられていた。金玉珠さんは、「慰安所」から、時計台が見えたと証言している。 |
「慰安所」があった中山路中山路にあった「慰安所」のひとついまは茶店になっている |
黄礼分さん |
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